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歴史

春日大社の国宝太刀の金具に純度の高い金

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平安時代の傑作として国宝に指定されている奈良市の春日大社に伝わる太刀が、ほとんどの金具に純度の高い金を使った極めて珍しいものであることが科学的な調査でわかり、調査に当たったグループは、当時の権力者である藤原氏が特別に作らせたと考えられるとしています。


「金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)」は、12世紀に春日大社に奉納された長さおよそ1メートルの刀で、さやに金や螺鈿(らでん)で猫がすずめを追う様子が精巧に描かれるなど平安時代を代表する傑作として国宝に指定されています。

今回、春日大社で20年に一度行われる「式年造替」に合わせて、奈良文化財研究所の高妻洋成室長らのグループが材質を詳しく調べました。その結果、つばやつかなどの金具のほとんどが純度の高い金で作られていることがわかったということです。

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産経新聞West

グループによりますと、これだけ純度の高い金の金具で飾られた太刀は極めて珍しいということで、当時の権力者である藤原氏が特別に作らせ、春日大社に奉納したものと考えられるということです。

春日大社の花山院弘匡宮司は、「ご神宝の象徴とも言える国宝の太刀が、立派なものだとわかり、大変、喜ばしいことです。この機会により多くの人に見ていただきたい」と話していました。
この太刀は、来月1日、リニューアルオープンする春日大社の国宝殿で来月31日まで公開されます。

9月26日 19時17分

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NHKNEWS WEB
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発酵・醸造食品

研究で実証、目の下のクマには甘酒が効く---暑い季節に熱い甘酒の話(後篇)

2016.07.22(Fri) 漆原 次郎

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甘酒。現代では暑い季節に「冷やし甘酒」という飲み方も。

「甘酒」をテーマに、その歴史と科学を見ている。

 前篇(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47350)では、夏の季語という事例が示すように、かつて甘酒が「夏の飲みもの」だったという経緯を探った。江戸では、鰻を夏の盛りである「土用丑の日」に食べるようになったのと時を同じくして、甘酒も「夏の飲みもの」への転換が図られたといった歴史を追った。

 たとえ夏であっても、甘酒を飲む。そこには、人々の「栄養満点で滋養強壮に効果あり」という直感があったのだろう。そして現代になり、そうした直感は科学的な観点で裏づけられつつある。

 そこで後篇では、甘酒の体に対する健康効果の研究成果を紹介したい。話を聞いたのは、甘酒飲料のシェアでトップを行き、甘酒に関する研究にも力を入れる森永製菓だ。ストレス抑制の効果や、皮膚に対する健康効果などが明らかになっているという。

夏バテ”軽減効果で「飲む点滴」の面目躍如

 夏に甘酒を飲む習慣は、江戸時代中期から少なくとも昭和時代の初期ごろまで長く続いた。単なる一時的流行に終わらず、百数十年間もこの食習慣が続いていたのは、人々が甘酒による「暑気払い」などの効果を感じていたからではないだろうか。

 実際、そうした直感に合致するような研究成果が出ている。森永製菓は2013年6月、暑さからのストレス回復を早める「夏バテ回復」の効果が甘酒にあるということを発表した。

 この研究では、マウス20匹を5日間、31℃という真夏の状況下で過ごさせた。その間、マウスに餌と水を自由に摂らせたほか、10匹には甘酒を、残りの10匹には水を等量、定期的に与えた。そして、その後の「甘酒摂取群」マウスと「水摂取群」マウスの状態や行動の違いを調べたという。

 研究を主導した、森永製菓の稲垣宏之氏はこう話す。

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稲垣宏之氏。森永製菓研究所食品研究開発センター第三グループマネジャー。甘酒の健康効果のほか、カカオの機能性、ポリフェノールの体内吸収性、離乳期の食経験と味覚の関係性、「べにふうき」緑茶の脂肪蓄積抑制効果などの多彩な研究を手がけている

「31℃の暑熱ストレス環境下でマウスを飼育すると、摂食量や体重の低下のほか、ストレスマーカーである血中コルチコステロン濃度の上昇が見られます。けれども、『甘酒摂取群』においては、摂食量低下や体重低下、また、コルチコステロン濃度の上昇が抑制されました」

 コルチコステロンは、副腎皮質という体の部分から分泌されるホルモンの一種だ。ストレスの負荷がかかると分泌量が増加することが知られている。

 実験ではまた、「甘酒摂取群」と「水摂取群」で自発的な運動量の差も見られた。12時間にわたり自由に運動できる環境をマウスに与えたところ、31℃の環境から出た後では「甘酒摂取群」のほうが1.5倍ほど、自発的な運動量が多くなったという。

「暑さの厳しい時期には、食欲不振や行動意欲の減退などの症状が現れますが、甘酒にはこうした暑熱ストレスを軽減する効果があるものと期待しています」

 では、どのような理由で、甘酒の暑熱ストレス軽減効果が現れたのだろうか。稲垣氏は「甘酒には、ビタミンB、葉酸、アミノ酸、糖質、ミネラルなどが複合的にバランスよく含まれているため、こうした栄養素の作用によるものと考えられます」と説明する。

 甘酒は発酵食品の1つであり、「飲む点滴」という異名を持つ。ビタミン類、タンパク質、糖類の栄養価がそれぞれ高いことが、こうした効果につながっていると稲垣氏は見ている。

 マウスを対象とする研究が、ヒトにも当てはまると考えてよいのだろうか。稲垣氏は、「マウスを用いた疲労やストレスの影響、その予防回復効果の評価法は医学研究において広く認知されており、ヒトでの生理学的評価で重要な位置を占めています」と話す。


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「甘酒摂取群」と「水摂取群」での自発的な運動量の比較。(出典:森永製菓2013年6月18日プレスリリース「『甘酒』が暑さからのストレスの回復を早めることを確認」を参考に作成)

目のクマ改善や、皮脂抑制の効果も

 同社研究所は、甘酒の健康効果についてさらに研究を進めている。夏バテ回復効果だけでなく、甘酒の皮膚に対する健康・美容効果も明らかになってきたという。

 同社は2015年5月、甘酒を飲むことで目の下のクマの改善が見られるという研究成果を発表した。東京工科大学の前田憲寿教授との共同研究によるものだ。

 この研究では、ヒトの女性17名に対して、酒粕と米麹を使用した「甘酒飲料」と、酒粕や米麹を含めずにフレーバーなどで甘酒風味にした「プラセボ飲料」を飲んでもらった。すると「甘酒摂取群」では、「プラセボ摂取群」に対して、目の下のクマの明るさの有意な改善が認められたという。

「甘酒飲料」の飲用後には、皮膚の表面温度の上昇も見られたという。稲垣氏は「血行が促進されて、老廃物の排泄が促進されることで、クマ改善に寄与したのではないかと推測しています」と話す。

 また2016年5月には、甘酒を飲むことによる皮脂抑制効果についての研究成果も発表した。「甘酒飲料」と「プラセボ飲料」を1カ月、継続して飲んでもらった試験において、「甘酒摂取群」のほうでは明らかに頬の皮膚表面の皮脂量が低下したという。細胞レベルの実験でも、脂腺細胞に甘酒の主成分の酒粕や米麹を添加すると、脂腺細胞での脂肪滴の蓄積が抑えられることが分かったという。これらの結果から、稲垣氏は「甘酒摂取により、皮膚での皮脂の産生が抑えられたのではないか」と見ている。

「夏の定番飲みもの」復活への道

 甘酒は、米麹が米などのでんぷんを分解して糖に変える糖化作用などにより作られる。微生物による複雑な過程の末に作られる甘酒に対して、これからも科学的な視点が加わり、これまで人々が抱いてきた「甘酒は体によい」という感覚が、さらに実証されていくことだろう。


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森永製菓の甘酒商品の一部。ほかに、フリーズドライタイプ、1000mlタイプ、粉末タイプなどの甘酒商品も揃える。(画像提供:森永製菓)

 昭和初期頃に再び「冬の飲みもの」と化した甘酒。夏の定番の飲みものとしての復活はあるだろうか。森永製菓は、発売40年以上となる甘酒缶や、春夏期間限定の冷やし甘酒や甘酒しょうがなどの缶タイプ、またフリーズドライタイプ、1000mlの大容量タイプ、粉末タイプと用途別に展開し、また「熱中症ゼロへ」プロジェクト協賛企業としての冷やし甘酒サンプリングや、土用丑の日に向けたサンプリングも行い、夏場の甘酒による栄養補給を提案する。

 同社マーケティング本部の田仲結子氏は、「夏バテ対策や熱中症対策、また美容関連で古くから日本人に親しまれていた甘酒に、改めて注目が集まっていることは喜ばしいことです」とする一方、「一過性のブームになってしまうのではなく、改めて『おいしさ』も実感していただき、日本人にとって身近な嗜好飲料として浸透していってほしい」と話す。

 栄養価の高い食材が世の中に溢れるようになった。そうした中で人々が甘酒に対して「おいしさ」を再認識することが、「夏の定番の飲みもの」としての地位復活の鍵となりそうだ。「おいしい」と「健康によい」は表裏一体の関係でもある。

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JBpress
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前編>で 昭和初期ごろから再び冬の飲み物として定着した「甘酒」の検証が行われたが、この極端な変遷(夏場に売れなくなった)にはどうも納得がいかない思いが強い。
後編では永年甘酒の普及に努めて頂いた大手メーカーさんの研究成果などを踏まえて、今後の展開が期待される。

❖得意先紹介

⑤DELI石関町店

⑤DELI石関町店にて

弊舗のあま酒を使った100%生ジュースを提供いただいています。

⑤DELIさんは、岡山・倉敷に7店舗および福山駅中に1店舗 あります。

店舗の詳細は↓をCLICK
⑤DELI石関町店

マルゴデリ

歴史

「シーボルトの金魚」確認 オランダ博物館に標本現存


 江戸時代後期の1820年代、長崎・出島のオランダ商館に滞在したドイツ人医師シーボルトが入手し、オランダに送られた金魚のアルコール漬け標本が、同国ライデンの自然史博物館に現存していることが17日、分かった。近畿大の細谷和海教授(魚類学)らの研究チームが確認した。

 研究チームによると、標本は計35匹。日本最古の金魚標本とみられる。うろこやひれの形に加え、魚独特の光沢も十分に保たれている。金魚は当時、日本では庶民が飼っていたが、欧州では珍しかったという。

 自然史博物館にシーボルトの金魚標本が収蔵されたことは文献で知られていた。

(共同)


シーボルトの金魚
 オランダの自然史博物館に現存する、シーボルトが入手した金魚「ランチュウ」のアルコール漬け標本(研究チーム提供)

2016年9月17日 08時41分

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47News



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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト詳細はCLICK

ドイツ出身の医師、博物学者であったシーボルトは来日中の間に診療の傍ら 日本各地を探訪様々な分野の標本を収集(弟子への依頼も含む)し、派遣本国であるオランダに送っていたといわれる。

バイク・ツーリング

鳥取道から米子方面ツーリング

以前から計画していた 高速道(無料区間)を使った山陰方面へのツーリングに友人と二人で出かけた。
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鳥取港の近くにある食事処で昼食

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シラス丼定食

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昼食の後、米子方面に向かうが、時間がありそうなので途中山陰道のICである「琴浦・船上山」から大山方面に 大山寺あたりまで上った。
その後米子を通り越して、水木しげるロードで賑わっている境港へ そして米子に戻り駅前のビジネスホテルで一泊
翌朝は 友人の企画でたたら製鉄に関する博物館等を巡った。
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JR安来駅
14232532_1148805491869631_7765485593810148835_n.jpg中海に面した場所にある「和鋼博物館」へ 今日はちょうど表で環境フェアというイベントが行われていた。
和鋼博物館にはもちろん備前長船の刀剣が展示されています。 中には新刀で 哲也さんの作品も
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たたら製鉄の歴史的な場所

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安来から国道432号線で奥出雲方面へ 途中立ち寄った道の駅「酒蔵 奥出雲交流館」であまざけソフトを食す

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たたら製鉄の伝承館

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途中で昼食に立ち寄った蕎麦屋「清聴庵」
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天ぷら割り子そば定食

その後たかのICから松江道(やまなみハイウェイ)に乗り一路尾道、福山を通り無事に帰着した。
二日間の総走行距離556km


発酵・醸造食品

「甘酒」はなぜ夏の季語なのか? 暑い季節に熱い甘酒の話(前篇)

2016.07.15(Fri) 漆原 次郎
1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

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甘酒。一夜酒などの異名も。

「『甘酒』は夏の季語」という話をよく耳にする。歳時記を見てみると、たしかに「暑い時に熱い甘酒を吹き吹き飲むのは、かえって暑さを忘れさせるので、夏に愛用される」(『平凡社俳句歳時記 夏』より)などとある。

 だが、歳時記や事典の類には「その昔は冬の飲みものだった」との記述もよく見かける。だとすれば、甘酒の旬は「冬から夏へ、そして冬へ」と移ったことになる。寒い冬に熱い甘酒で温まるのは感覚的に分かるが、いったい「甘酒と夏」の組みあわせは、どう誕生し、どう定着し、どう衰退していったのだろう。

 こうした疑問をもちつつ、今回は「甘酒」をテーマに、歴史と科学を追ってみたい。前篇では、「甘酒は夏の飲みもの」成立の経緯などを中心に、日本人と甘酒の関わりを追ってみたい。後篇では、夏に甘酒を飲むという人々の知恵を裏付けるような現代の科学研究成果を見ていきたい。

神に献じた甘酒、祭の伝統は今も

 粥と米こうじを等量で混ぜたものを、沸騰しないように一昼夜、温め続ける。これで甘酒のできあがり。甘酒が甘いのは、米こうじの仕業による。飯などのでんぷんを分解して糖に変えているのだ。

 かつて、甘酒は「醴」(こさけ)とも書かれた。古くは720(養老4)年成立の『日本書紀』に、醴を応神天皇に献じた旨が記されている。応神天皇は、弥生時代から古墳時代へと移る3世紀ごろに即位していた天皇だ。

 その後も、甘酒は神に献じる飲みものであり続けた。人々がいただくときも、日常においてでなく、「ハレの日」においてだった。甘酒というと催事に振る舞われる印象が強いが、各地ではいまも「甘酒祭」の伝統が続いている。

 埼玉県秩父市(旧・荒川村)の熊野神社では、ふんどし姿の氏子たちが大樽に入った甘酒をかけあう「甘酒こぼし」を行う(2016年は7月24日に公開予定)。伝説では、大和武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、大きな猪を矢で射った。だが尊が射ったのは本当は山賊で、村民たちは喜んで尊に濁酒を捧げた。尊は、伊宑諾命(いざなぎのみこと)と伊穽冊命(いざなみのみこと)という夫婦の神を祀り、ここに熊野神社が創設されたという。その後、735(天平8)年に疫病が流行すると、この故事にちなんで、人びとは「甘酒こぼし」を疫病を流すための祭事にしたという(『食の科学』2004年12月号より)。

 ほかにも、甘酒を供えて酒造りの安全繁栄などを祈願する梅宮大社(京都府京都市)、甘酒を飲みあって豊穣を感謝する八幡神社(愛知県一宮市)、酒造の神に感謝する淡嶋神社(和歌山県和歌山市)など、今も甘酒祭は多く催されている。

江戸時代、甘酒飲みは日常的なものに

 甘酒と夏の関係はどうか。これをうかがわせる記述は、早くも平安時代の書物に見られる。927(延長5)年完成の律令細則『延喜式』には、盛夏に蒸米と米こうじに酒を加えた飲みものを作るとの記述がある。ただし、この飲みものは酒が使われることから、「白酒」に近いものではないかと考えられる。

 酒を使わないでつくる甘酒の記述が見られるのは、江戸時代の1697(元禄10)年に医師の人見必大が著した本草書『本朝食鑑』あたりからだ。「酒」でなく「香ノ物」という項目で、浅漬、甘漬、百本漬などとともに記されている。

 そして、『本朝食鑑』から15年後の1712(正徳2)年に寺島良安が編纂した百科事典『和漢三才図会』にも「醴」の説明がある。夏の季節に関係する記述もある。

「祭酒に多く醴を用いる。毎六月朔日、天子へ醴酒を献づる」

 ここでの「六月朔日」は、旧暦の6月1日、今でいう7月4日ごろに該当する。各地の甘酒祭が冬に少なく夏から秋に多いことからも、神事関係では「甘酒は夏の飲みもの」という概念があったようだ。


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『和漢三才図会』における「醴」の説明(所蔵:国立国会図書館)。

 江戸時代には、都会を中心にある程度の食の多様化が進んだ。とはいえ、砂糖などの甘味のある食材は簡単には手が届かない。となれば、飲むと砂糖のような味のする甘酒を、神に奉じるだけでなく、自分たちも積極的に飲もうとする動きが現れても不思議ではない。実際、京都や大坂でも江戸でも「甘酒売り」が街を歩きまわるようになった。

 では、江戸時代の庶民にとって甘酒の旬はどの季節だったのだろう。

 風俗史家の喜田川守貞が1853(嘉永6)年に著した『守貞謾稿』には、甘酒売りの詳しい説明がある。

「京坂は専ら夏夜のみこれを売る。(略)江戸は四時ともにこれを売り、一碗価八文とす」

 つまり、京都や大坂では夏の夜だけ、また江戸では四季を通じて、甘酒売りが甘酒を売っていてようだ。やはり、夏が中心なのである。


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『守貞謾稿』に描かれる甘酒売り。江戸では真鍮釜あるいは鉄釜を用い、京坂ではかならず鉄釜を用いるとも (所蔵:国立国会図書館)。

「夏の甘酒」と「土用丑の日の鰻」が同期

 ところが、『守貞謾稿』から時を少し戻すと、江戸では夏に甘酒を飲む習慣が存在しなかったことがうかがえるのだ。医師の小川顕道が1814(文化11)年に著した『塵塚談』にはこうある。

「あま酒は冬の物也と思ひけるに、近頃は四季ともに商ふ事になれり、我等三十歳頃迄は、寒冬に、夜のみ売廻りけり、今は暑中往来を売ありき」

 甘酒は冬のものと思っていたら、四季を通じて売られるようになったと変化を述べているのだ。小川の「三十歳頃」は、1767(明和4年)ごろ。当時は、まだ夏には甘酒が売られていなかったらしい。

 では、江戸で甘酒が夏にも売られるようになったのにはどうしてか。もう1つ注目したいのが、1822(文政5)年に刊行された『明和誌』だ。明和年間(1764-1772)以降の風俗が記録されている。そして、1768(明和5)年頃のこととして、こう書かれている。

「すべてあまざけ又納豆など、寒中ばかり商ふことなるに、近きころは、土用に入と納豆を賣きたる。あまざけは四季ともに商ふこととなる」

 この書物でも、寒い時期のみに売られていた甘酒が、四季を通じて売られるようになったと記されている。ここまでは『塵塚談』と大きく違わない。だが、特筆すべきことに、『明和誌』にはかつて夏の食べものではなかったとされる鰻についての言及もある。

「土用に入、丑の日にうなぎを食す、寒暑とも家毎になす。安永天明(1772-1789)の頃よりはじまる」

 鰻をめぐる有名な説として、旬でなかった夏場にも売れるよう「土用丑の日の鰻」を、かの平賀源内が流行らせたという話がある。「丑の日に鰻を食べて夏負け知らず」という考えが定着化した。一方の甘酒も、栄養満点で滋養強壮にうってつけの飲みものであることを人々は感じていただろう。鰻の「土用丑の日に」と同じタイミングで、江戸の甘酒も「夏にも」という転換が図られたのではないだろうか。

「冬の飲みもの」回帰は昭和初期ごろ?

 明治時代に入っても、甘酒売りや甘酒屋の商売繁盛は続いた。その様子は新聞記事からうかがえる。

 1890(明治23)年8月16日の読売新聞には、東京・下谷の佐竹原に甘酒屋が14~15軒あり、さらに開店の用意中の者が5~6軒あったとある。甘酒屋は「旦那、“若いの”がありますよ」と遊郭のような客引きをして、一夜づくりの「若い甘酒」を売っていたそうだ。

 1893(明治26)年6月21日の読売新聞は、「昨今の暑さ」から麦豆屋や納豆屋などから甘酒屋に転職をする者が多いと伝えているし、1910(明治43)年になっても8月13日の同紙が、東京市内におよそ200軒あり「六月の末から七八と暑氣が加はるにつれ売行きが盛に」と伝えている。「あまーい、あまーい」と甘酒を売る声が、夏のあいだ街のあちこちで聞こえたのだ。


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大正時代、東京で見られた甘酒売り。芝公園にて。1913(大正2)年6月26日付、東京朝日新聞より。

 ところが、その後の新聞記事を追うと、1920年代以降、甘酒が夏の話題として記事になることが減っていく。むしろ、寺の境内で正月に甘酒が振る舞われたなどの、冬の話題が多くなるのだ。大正から昭和初期に「夏から冬へ」の逆戻りがあったようだ。何があったのだろう。

 この頃の新聞でしばしば見られるのは、夏ごろに甘酒を飲んだ人が食あたりを起こすという事故の記事だ。1927年5月27日付の東京朝日新聞では、甘酒を食した家族が激しい下痢腹痛を起こし、1人が死亡し、4人が危篤と伝えている。

 大正期になると甘酒売りの数も減ったというから、庶民みずからも甘酒を作るようになったのだろう。ところが、夏場の甘酒づくりでは衛生管理が行き届かず、食あたりも頻繁にあったのかもしれない。こうしたこともあり、甘酒は昭和初期以降「冬の飲みもの」に回帰したことが察せられる。

 いま、夏場にスーパーマーケットなどで甘酒を探しても、なかなかお目にかからない。だが、18世紀半ばから20世紀序盤までの百数十年間、甘酒は「夏の飲みもの」だったという事実がある。暑い盛り、熱い甘酒をふぅふぅと飲む。それを一部の物好きな人だけでなく、日本人はみんながやっていたのだ。これほど長く定着していた食習慣を、単なる長い流行で片づけることはできない。「夏と甘酒」の組み合わせの妙を、人々は感じ、知っていたのだ。

 現代の科学では、夏に甘酒を飲むという人びとの知恵はどのように解釈することができるのだろうか。甘酒をめぐる科学研究の成果を見てみよう。

(後篇につづく)

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JBpress



【甘酒】の変遷について興味深い記事にて シェアさせて頂きました。
当方では、昭和30年代より甘酒製造に着手しましたが、記事にもある通り当時は冬場の飲み物との認識が一般的で、夏場に売れることはありませんでした。
ところがここ数年の「麹ブーム」により、麹から造られた甘酒の効用や歴史が「夏場に飲む点滴」などのキャッチコピーで広く知られることとなって、夏場に生産に追われる状況を呈しております。

人類進化

起源は原始的な肺 魚の「浮袋」進化でなく

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東京慈恵会医科大などのチーム研究結果

 ヒトを含む陸上で生活する脊椎(せきつい)動物の肺は、魚の浮袋から進化したのではなく、魚類と陸上の脊椎動物の共通する祖先が持っていた原始的な肺が起源だとする研究結果を、東京慈恵会医科大などのチームが英科学誌に発表した。

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研究に用いた古代魚の一種「ポリプテルス」(岡部正隆・東京慈恵医大教授提供)

 多くの魚は体内に浮袋を持ち、大きさを変えることで浮き沈みしやすくしている。英国の自然科学者、チャールズ・ダーウィンは著書「種の起源」で、陸上で生活する脊椎動物の呼吸に欠かせない肺は「魚の浮袋から進化した」と、肺より浮袋が先に存在していた可能性を示していた。

 同大の岡部正隆教授らは、現在の一般的な魚類の仲間では最も原始的な「古代魚」とも呼ばれる「ポリプテルス」に着目。ポリプテルスには浮袋でなく肺があり、卵から肺が成長する様子を調べたところ、陸上の脊椎動物の成長過程と極めてよく似ていた。また、陸上の脊椎動物の肺が作られる際に不可欠な3種類の遺伝子が同じように働いており、陸上の脊椎動物と共通の仕組みで肺ができることが分かったという。

 これらの結果から、チームは、魚が陸に上がるようになってから肺ができたのではなく、浮袋よりも前に肺という器官が存在していたと結論付けた。岡部教授は「私たちヒトの肺も、現在の一般的な魚類が持つ浮袋も、共通する祖先の原始的な肺から進化したものと考えられる」と話す。【永山悦子】

2016年8月18日 19時08分(最終更新 8月18日 23時37分)
詳細は↓をCLICK
毎日新聞

✪衝撃ニュース

「自分の人生を生きていないとき」人は病気になる

プレジデント 7月2日(土)16時15分配信

 「病は気から」と言われますが、実は奥はもっと深く、意識と言葉の関係によって病気のコントロールが可能だとメンタルトレーナーの梯谷幸司さんは言います。自己実現のツールとしても使われるNLP(神経言語プログラミング)などを駆使し、経営コンサルタントやビジネスコーチとしてだけでなく、医療の場でも「言葉を使って病気を消す」といった取り組みを積極的に行っています。

■人は言葉で表現できないとき、体で表現を始める

 ビジネスコーチという職業柄、これまでのべ3万人以上のクライアントの対応をしてきました。中には、経営者や業界トップクラスの方も多く、彼らは自分の体調について隠さなければならないこともしばしばでした。コーチングの傍ら、そうした人たちの健康相談を受けることもあり、その過程で、病気になる人に共通した傾向があることに気づいたのです。

 初めに病気と言葉の関係に気づいたのは、自分自身の体験からでした。まだコーチングの勉強を始めた新人の頃、忙しさのあまり、過労からマイコプラズマ肺炎になって入院しました。当時の上司がお見舞いに来てくれたときの言葉は忘れられません。開口一番、「君は何を言っていないんだい」と聞かれました。突然で面食らいましたが、「休みをください」と返しました。すると、上司は「人は、口で言えばいいことを、体で表現する。次回からは体でなく口でそれを言いなさい」とだけ言って帰っていきました。その後、私のマイコプラズマ肺炎は医師の予測よりずっと早く治りました。この体験がきっかけで、私は病気と言葉の関係に注目するようになったのです。

 さらに、数年前から、家族や親しい友人が次々と病に倒れ、その際に私が言葉を使って暗示にかけ、病気が改善したということがありました。以来、医療分野でのサポートを考えるようになり、今年から都内でクリニックを経営する首藤紳介医師と組んで、「言葉で病気を消す」といったメンタルカウンセリングを行っています。

 これまでに、乳がん、子宮がん、大腸がん、認知症、パーキンソン病、不妊症、学習障害など、さまざまな悩みを抱える人々に会ってきましたが、彼らに共通していることがあることに気づきました。「誰かに何か言っていないことがある」「許せない人がいる」「受け身的な解釈をする」「原因を外に求める」などです。

 こうした価値観や思いを持って生きていると、人は徐々に本当の自分の気持ちを抑制して生きていくようになります。そして、どんどん「本来自分が望んでいた人生」からズレていくのです。どんなに社会で成功をしている人でも、どんなに財を成している人でも、この点は共通しているようです。

■自分の人生を生きることは、今すぐにでもできる


 「自分の人生を生きる」ということは、誰かと競ったり、自慢するためだったり、または誰かのために生きることではありません。自分が心から喜びを感じることをやっているかどうかに尽きます。家族のために仕事をし、我慢をしながら一生懸命に頑張ることが当たり前で、必死にやっているというのが世間の大半でしょう。「本当にやりたいことだけできる人生なんて幻想だ」という人もいることでしょう。しかし、視点を変えて、今やっていることに新しい意味づけをすることは可能です。今していることをすぐにやめて、やりたいことだけをやるという必要はありません。

 同じ「仕事をする」でも、生活の糧のために仕事をするのか、何か大切な役割のための仕事なのかで動機が全く違ってきます。もし、今の仕事に満足していなければ、その仕事を「人生」というもっと大きな流れの中で、自分にとってどのような意味があるのかを俯瞰して見てみるのです。これまでとは違ったものが見えてくるはずです。

 病気も同じことです。成し遂げたいことがあるから病気を治したいのか、ただ病気を治したいから治療をするのかで、回復の程度もスピードも異なります。

 病気は、「自分が本来あるべき人生からズレているんだよ」と知らせてくれるサインであって、敵や怖いものだと感じる必要はありません。病気からヒントを得て、考え方をシフトしてみることで、体調だけでなく、人生にも変化が起きるかもしれません。これまで、実際にそういう人をたくさん見てきました。

 一般的に、病気、特に慢性的な疾患についてはその原因を生活習慣などに求めますが、私は、その人の潜在意識を探ります。病気を発生させている隠れた原因というものが、誰にでも潜んでいるからです。目標達成や自己実現のツールとして欧米で使われているNLPやLABプロファイル(行動特性から思考パターンを分析し体系化したもの)、禅などを応用したカウンセリングのテクニックを駆使して、潜在意識を探り出す方法を紹介しましょう。

■病気は必ず人間関係に問題を抱えている

 ●「隠されたコミュニケーション」を暴く

 最初に私が見るのは、「隠されたコミュニケーション」です。病気の裏側には必ず、誰かに何か言いたいことが言えていないなど、周囲の人間関係の問題があります。まずそれを探し出します。

 認知症の患者さんは家族間での問題が多いようです。私は患者さんに対して、繰り返しこう言います。「私の前では認知症は通用しませんよ。一体何のために認知症になっているのですか? 」と。しばらくすると、「子どもに遺産を渡したくないから」だとか、「夫の面倒をみたくないんだ」など、何らかの返事が返ってきます。逃げ出したいことがあると認知症になって逃げ込むのがありがちな特徴のようです。

 がんになる人も、「上司に不満がある」「夫が浮気をしている」「姑とうまくいっていない」など、必ず何らかの理由が返ってきます。しかし、なかなかそれが口に出せなかったために、病気という形で体が表現をしているようです。

 こうした不満や口にしてこられなかったことを、カウンセリングの最中に引き出します。

 ●病気に対して、主体的か受け身であるかを確認する

 次にその人の意識の中の「フィルター」を確認します。私たちは、物事をさまざまなフィルターをかけて見たり判断する癖があります。「男は○○だ」「日本人は○○だ」などの固定観念もフィルターのひとつです。「○○でなければならない」「○○しなければならない」という思い込みもそうです。また、原因を他人に見出すか、自分に見出すかもフィルターのひとつです。仕事でミスがあった場合、自分で防げなかったことを反省して、次回はミスをしないように前向きになる人もいれば、誰かのせいにして延々と恨む人もいるでしょう。何かの事柄が起こったとき、自ら考えて行動を起こすのか、周囲がそうするから自分もそうするのかなど、原因をどこに置くかで結果が変わってきます。


■自分で「病気をやめること」ができる


 ●意識レベルを確認する

 意識のレベル(感情レベル)の確認も大切です(図表参照)。アメリカの精神科医、デヴィッド・R・ホーキンズ博士は、意識には悦び、愛、勇気、怒り、恐怖など、17段階のレベルがあり、意識のレベルによって発するエネルギー値が変わるといいます。がんになる人は「罪悪感」があり、自殺をする人は「恥じ」の意識を持っていることが多いようです。私は、罪悪感、無気力など低い意識のレベルにいる人に対して、カウンセリング中に恐怖を感じさせたり、怒らせたりすることがあります。これはエネルギー値を上げるためにわざと行うテクニックのひとつです。意識のレベルを一気に上げるのは難しいので、少しずつ上に上げて、9の勇気以上の達成可能なレベルにもっていくのです。

 ●不完了な感情を解決する

 そして、これが最も重要です。不完了な感情がないかどうかの確認です。不完了な感情というのは、未消化の感情とでもいいましょうか。患者さんの多くに「絶対に許せない」という感情が見られます。この「絶対に許せない」を「許す」に変える決意をすることが非常に重要な一歩となります。許せないことが習慣になっていますし、中には許さないことが生きるよるべになっている場合もあります。しかし、病気と決別したいのであれば、ここで「許す」と決心できるかどうかが、ひとつの鍵となります。

 ●「前進している」感覚を持たせる

 その後は、生きる目的を明確にさせ、それに向かって「前に進んでいる」という感覚を芽生えさせます。仕事や家庭での自分の生きる目的や目標を見つけ出したら、その目標を達成するために必要な最初のステップ、プロセス、スケジュール、課題や問題を洗い出します。こうした過程を経ることにより、考え方が主体的になり、「自ら前に進んでいる」という感覚を得ることができるようになります。実はこの感覚こそが、実際に目標が実現するかどうかよりも重要なのです。

 ある日、私のクライアントが「私、この病気でいることをやめることにしました」と言ってきました。彼女は病気は自分で作るもので、自分でやめることもできるのだということに気づいたようです。進行がんの患者だったのですが、それから3カ月ほどでがんが縮小して、最終的にがんが消え、主治医も驚いていたそうです。

 別に彼女が特別というわけではありません。自分の人生は自分がコントロールしているという感覚を持って、自分で病気をやめようと決心することは、誰もができることなのです。

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梯谷幸司(はしがい・こうじ)
トランスフォームマネジメント代表。心理技術アドバイザー、ドランスフォーメーショナル・コーチ、経営コンサルタント、NLPトレーナー。人間心理、言語学心理、NLP(神経言語プログラミング)、LABプロファイルなどの分野で世界的な専門家に師事し、20年以上、科学的手法に基づいた理論を実践している。経営者、アスリートなどクライアントの抱える先入観や思い込みを素早く特定し、潜在意識をフル活用させ、精神的、肉体的苦痛を伴わずにセルフイメージを変革してきた。企業コンサルティングや研修事業、表参道首藤クリニックでカウンセリングを行っているほか、一般向けワークショップも定期的に行っている。
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トランスフォームマネジメント代表 メンタルトレーナー 梯谷幸司 取材・構成=田中響子

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発酵・醸造食品

ビジネス 特集“イギリス産日本酒”で挑む

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2016年8月25日 20時10分



和食ブームを通じて海外で日本の食文化への関心が高まる中、大阪市の酒造会社がイギリスで日本酒の生産に乗り出すことになりました。日本の会社がヨーロッパに醸造所を設けるのは初めてということですが、ヨーロッパでは食事にあわせる酒の主流はワインです。
なぜ、現地生産の場にイギリスを選んだのでしょうか。そして“イギリス発”の日本酒がワインの本場ヨーロッパで市場を開拓できるのでしょうか。(ロンドン支局 下村直人)


日本酒を世界に広めたい




「日本はウイスキーの醸造技術をイギリスから学び、世界で評価されるようになった。イギリスにも日本伝統の酒を浸透させ、イギリス発の新しい日本酒を世界に広げていくことが私たちの夢だ」

去年夏、大阪市の酒造会社「堂島麦酒醸造所」社長の橋本良英さんとイギリス法人社長で妻の清美さんを初めて取材した際、2人から聞いたことばです。
この会社は、ビールや日本酒の生産を手がける600年の歴史を持つ老舗の酒蔵です。橋本夫妻は、日本の酒造会社では初めてというヨーロッパでの日本酒の醸造所建設に挑戦する思いを情熱的に語ってくれました。

30ヘクタールの敷地で日本酒造り



醸造所を建設するのは、ロンドンから北東に電車で1時間余りのところにあるケンブリッジシャー州です。30ヘクタールにおよぶ敷地には、歴史ある邸宅や古い馬小屋、美しい草原や池もあり、イギリスの田舎らしいのどかな風景が広がっています。

この広大な敷地に、日本酒の醸造所とともに、日本酒の専門家の育成施設や、和食を提供する飲食店などを建設する計画です。費用は総額1500万ポンド、日本円でおよそ20億円にのぼります。順調に進めば、来年初めに醸造所が完成し、春ごろから本格的な生産を始める計画です。
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DOJIMA SAKE BREWERYのサイトより

ヨーロッパでも市場拡大のチャンス



ヨーロッパでは現地生産をするほど、日本酒の需要の伸びが見込めるのでしょうか。いま世界では、和食ブームの影響もあって日本酒の消費の拡大が続いています。

財務省の貿易統計によりますと、日本酒の輸出額は6年連続で過去最高を更新していて、去年は140億円と10年前の2005年からおよそ2.6倍に増えました。輸出先のトップはアメリカで、およそ50億円と全体の35%余りに達しています。次いで、香港や韓国などアジア地域が上位を占めています。

一方、アメリカやアジアに比べるとヨーロッパで日本酒はそれほど浸透していません。輸出額がもっとも多いイギリスでも、その額は2億6000万円と、アメリカの20分の1ほどにとどまっています。フランスやイタリアなどワインの一大産地を抱えているヨーロッパで食事にあわせる酒はワインが主流だからです。
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ただ、ヨーロッパでも変化が見え始めています。イギリスではロンドンで開かれる世界的に権威のあるワインの品評会に9年前から日本酒部門が設けられ、ワインに詳しい人の間で認知度が徐々に高まり始めています。

また、ロンドンにあるワインの教育組織では、おととしから日本酒講座がスタートしました。ヨーロッパ全体を見渡しても、日本酒を提供する飲食店が増えていて、今後、市場の拡大が期待されているのです。

堂島麦酒醸造所のイギリス法人でマーケティングの責任者を務める橋本夫妻の長女の橋本久美子さんは、「ヨーロッパはまだ新しい市場なのでチャンスがある。ここで造った日本酒を皆さんに楽しんでもらいたい」と意気込みを語っています。
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イギリスの地元も後押し



今回のプロジェクトに対し、地元では歓迎ムードが高まっています。去年12月に建設予定地で開かれた住民説明会では「長い間、使用されていなかった場所の開発は、地域にとって重要だ」とか「多くの人が醸造所の見学などに訪れてほしい」など、醸造所の建設による経済効果や地域の活性化に期待する声が大勢を占めました。

今月3日に現地の役場で開かれた委員会でも「EU=ヨーロッパ連合からの離脱がイギリス経済に与える影響が懸念される状況の中で、大規模な投資を行い、雇用も創出するすばらしい事業だ」などと歓迎する声が相次ぎました。
そして、全会一致で、醸造所の建設など一連のプロジェクトを進めることを許可しました。

委員会のあと、社長の橋本良英さんが「日本酒文化を発信し、イギリスに根づかせたい。その使命をきょう頂いた」と、いくぶん緊張した面持ちで話していたのが印象的でした。
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ヨーロッパで日本酒普及なるか



関心が徐々に広がりつつあるとはいえ、イギリスをはじめとするヨーロッパでの日本酒の取り扱いは、高級和食レストランや日本人向けのスーパーマーケットなど一部に限られているのが現状です。日本酒をウオッカのようなアルコール度の強い蒸留酒と誤解している人も依然として多く、そのイメージの払拭(ふっしょく)には、認知度をさらに高めていく必要があります。

堂島麦酒醸造所は、アメリカやアジアで人気がある吟醸酒と純米酒だけでなく、醸造の最終段階で水の代わりに酒そのものを使って仕込む、甘くて濃厚な日本酒も造りたいとしていて、ヨーロッパの人たちにどこまで受け入れられるのか注目です。
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普及に向けたもう1つの課題は、日本酒の原料となる水と酒米の調達です。イギリスの水は日本酒に適さない硬水のため、堂島麦酒醸造所では現地の硬水を軟水に変える装置を使う計画です。また、イギリスで調達できない酒米は、日本やアメリカなどから輸入する方針です。

こうした日本での生産に比べて余分にかかるコストをどう抑え、消費者が購入しやすい価格を実現できるかも、重要なポイントになると思います。

建設許可が下り、いよいよ動き出すことになった日本の酒造会社によるヨーロッパでの日本酒の現地生産。日本酒の専門家育成も含めた、地道で息の長い取り組みによって、イギリス発の日本酒を世界に広げたいという夢はかなうのか。その挑戦を今後も見つめていきたいと思います。


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ロンドン支局

下村 直人 記者

平成11年NHK入局
津局を経て経済部
平成25年からロンドン支局

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NHK NEWSWEB
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発酵・醸造食品

食欲増進!「麹納豆」がいける!

カテゴリー:レシピ, 納豆 投稿日:2016.08.14

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酷暑の季節、食欲が減退した時に麹と納豆、人参、昆布という健康パワー満点の「麹納豆」を作りませんか。保存が効くので、多めに作っておいて熱々のご飯にかければ、麹の旨味と納豆のネバネバパワーでご飯のおかわりは間違いなし!



「麹納豆」の作り方

麹を入れるので、麹が発酵を始めるまで1~2時間程度は室温で、その後は冷蔵庫で味をなじませます。また醤油麹の作り置きがあれば、そこに麹と醤油以外の材料を入れて作ることもできます。熱々のご飯の他に、冷ややっこやぶっかけそばの具としてもおいしくいただけます。



【材料】

・納豆:3パック(120g)

・米麹:80g

・人参 1/3本

・だし昆布:5cm

・酒:大さじ1と1/2

・みりん:大さじ1/2

・醤油:大さじ2

・白いりごま:10g

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【作り方】

1./ 人参は千切りにし、さらに長さ1cmぐらいに切り、だし昆布はハサミで2mm程度に細く切っておく。

2./米麹は手でよくほぐし、固まりをなくしておく。

3./ボウルにすべての材料を入れてよく混ぜ、麹の発酵を促すため室温で1~2時間置くと出来上がり。

※保存容器に入れ、冷蔵庫で保存。1~2週間は保存可能。

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