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人類進化

「呼吸しない微生物」を発見 どのようにして生きているのか不明…生命誕生の謎に手掛かり

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生きる仕組みが不明の微生物(緑色に光る点の部分)=海洋研究開発機構提供

 呼吸する仕組みを持たず、どのようにして生きているのか分からない常識外れの微生物を発見したと海洋研究開発機構などの国際チームが発表した。生命誕生の謎の解明につながる可能性があるという。英科学誌電子版に発表した。

 チームは米カリフォルニア州の山で、地下深部からの湧き水に含まれる微生物を採取。ゲノム(全遺伝情報)を調べたところ、16種類の微生物は呼吸をつかさどる遺伝子がなかった。うち4種類は体内でエネルギーを生産するための遺伝子も見当たらなかった。これらが生命を維持する仕組みは全く分からないという。

 この湧き水は、地球のマントルの成分のかんらん岩と水が反応してできた。強いアルカリ性で酸素をほとんど含まず、生命にとって極めて厳しい環境だ。

 生命が誕生した約40億年前の地球は、よく似た環境だったとされる。過酷なこの時代に生命が生まれた理由は大きな謎で、今回の微生物が解明の手掛かりになる可能性があるという。

 海洋機構の鈴木志野特任主任研究員(環境微生物学)は「予想外の発見で驚いた。生命を維持する未知の機能を解明したい」と話す。(産経新聞社 草下健夫)

2017.8.7 07:53
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SankeiBiz
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人類進化

地球最古の化石発見、約40億年前の生命の痕跡

【3月2日 AFP】(更新)38億~43億年前の地球に生命が存在したことを示す「直接的証拠」となる最古の化石を発見したとの研究論文が1日、英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。

 発見者である英ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)のドミニク・パピノー(Dominic Papineau)教授によると、見つかった微化石は、これまで最古とされてきた化石よりも約3億年古い。

 見つかったのは、鉄を餌とする海生バクテリアによって形成された糸状構造と赤い管の化石で、幅はヒトの髪の毛の半分ほど、長さは最大0.5ミリ。化石を宿すことが知られている白い花のような石英構造体の中に閉じ込められていた。周辺には、主に深海底に存在する熱水噴出孔の痕跡も見つかった。

 鉄が豊富にある熱水噴出孔は現代にも存在し、そこに生息するバクテリアは、研究チームが痕跡化石を発見した生命体と似たものである可能性がある。

 化石が見つかったのは、世界最古級の堆積岩が発掘されることで知られるカナダ・ケベック(Quebec)州のヌブアギツク・スプラクラスタル・ベルト(Nuvvuagittuq Supracrustal Belt)と呼ばれる場所。
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カナダ・ケベック州のヌブアギツク・スプラクラスタル・ベルトで見つかった、地球最古の化石。熱水噴出孔の堆積物の中に、赤鉄鉱の管が確認できる。ネイチャー誌提供。(c)AFP/NATURE PUBLISHING GROUP/MATT DODD

 地球は約45億7000万年前に誕生したとされるが、これらの堆積岩は37億7000~42億9000年前に形成されたもので、地球最初の生命体の生息地だった可能性がある。

 地球上の生命誕生がいつ、どこで起きたのかは謎のままだが、深海の熱水噴出孔は有力候補の一つとされている。

 研究チームは、地球が形成された直後に生命が誕生したという事実は、液体の水が存在する太陽系外惑星でも同じ段階で生命が誕生し得ることを示していると述べている。

 論文の主執筆者でロンドン・ナノテクノロジー・センター(London Centre for Nanotechnology)院生のマシュー・ドッド(Matthew Dodd)氏は、地球と火星の表面には同時期に液体の水が存在していたと指摘。「火星で40億年前に存在していた生命の証拠が見つかるかもしれない」と述べている。(c)AFP/Marlowe HOOD

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カナダ・ケベック州のヌブアギツク・スプラクラスタル・ベルトで見つかった、鉄の塊(右下)に接続された赤鉄鉱の糸状構造。ネイチャー誌提供。(c)AFP/NATURE PUBLISHING GROUP/MATT DODD

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カナダ・ケベック州のヌブアギツク・スプラクラスタル・ベルトで見つかった碧玉岩に含まれていた糸状構造の微化石。ネイチャー誌提供。(c)AFP/NATURE PUBLISHING GROUP/MATT DODD

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カナダ・ケベック州のヌブアギツク・スプラクラスタル・ベルトで見つかった、炭酸鉄(白色)と石英の包有物層(灰色)。中心には赤い赤鉄鉱の包有物を持つ石英の結晶がある。ネイチャー誌提供。(c)AFP/NATURE PUBLISHING GROUP/MATT DODD

2017年03月02日 05:17
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AFP BBNEWS

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人類進化

起源は原始的な肺 魚の「浮袋」進化でなく

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東京慈恵会医科大などのチーム研究結果

 ヒトを含む陸上で生活する脊椎(せきつい)動物の肺は、魚の浮袋から進化したのではなく、魚類と陸上の脊椎動物の共通する祖先が持っていた原始的な肺が起源だとする研究結果を、東京慈恵会医科大などのチームが英科学誌に発表した。

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研究に用いた古代魚の一種「ポリプテルス」(岡部正隆・東京慈恵医大教授提供)

 多くの魚は体内に浮袋を持ち、大きさを変えることで浮き沈みしやすくしている。英国の自然科学者、チャールズ・ダーウィンは著書「種の起源」で、陸上で生活する脊椎動物の呼吸に欠かせない肺は「魚の浮袋から進化した」と、肺より浮袋が先に存在していた可能性を示していた。

 同大の岡部正隆教授らは、現在の一般的な魚類の仲間では最も原始的な「古代魚」とも呼ばれる「ポリプテルス」に着目。ポリプテルスには浮袋でなく肺があり、卵から肺が成長する様子を調べたところ、陸上の脊椎動物の成長過程と極めてよく似ていた。また、陸上の脊椎動物の肺が作られる際に不可欠な3種類の遺伝子が同じように働いており、陸上の脊椎動物と共通の仕組みで肺ができることが分かったという。

 これらの結果から、チームは、魚が陸に上がるようになってから肺ができたのではなく、浮袋よりも前に肺という器官が存在していたと結論付けた。岡部教授は「私たちヒトの肺も、現在の一般的な魚類が持つ浮袋も、共通する祖先の原始的な肺から進化したものと考えられる」と話す。【永山悦子】

2016年8月18日 19時08分(最終更新 8月18日 23時37分)
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毎日新聞

人類進化

日本人の祖先、いつどこから来た? 定説の3ルートとは



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日本人 いつどこから


 日本人の祖先が日本へ渡ってきたルートや時期が、遺跡に残された石器や人骨の研究で絞り込まれてきた。約3万8千年前以降に、東アジアの各地から三つの道をたどってきたようだ。黒潮が流れる海を越えてきた人たちもいる。

 いま世界中にいる現生人類(ホモ・サピエンス)は約20万年前にアフリカで誕生し、約6万年前から世界へ拡散しはじめ、その後、東南アジアやバイカル湖付近へ到達した。日本へは、いつ、どこから渡ってきたのか。

 遺跡や化石、遺伝子などの研究から、定説となってきたルートは三つ。朝鮮半島から対馬経由で西日本に入る「対馬ルート」、シベリアからサハリン経由で北海道へ南下した「北海道ルート」、そして台湾付近から琉球列島への「沖縄ルート」だ。

 対馬ルートで渡ってきた時期について、首都大学東京の出穂雅実准教授(考古学)は「約3万8千年前」と絞り込む。

 地球は約7万年前から約1万年前まで寒冷な氷期になり、海面が今よりも低かった。3万年前より古い国内の遺跡のうち、「古本州島」として陸続きになっていた九州、四国、本州の各地から条件がよいものを厳密に調べたところ、最も古いのが約3万8千年前で、それ以降、急に増えていた。朝鮮半島とは海で隔てられていたが、対馬などを伝っていけば目視しながら渡ることができた。

 北海道ルートはシベリアまで陸続きだった。出穂さんによると、約2万6千年前以降の北海道の遺跡から見つかる「剥片(はくへん)石器群」と「細石刃(さいせきじん)石器群」がシベリアのものと似ており、生活が共通していたことがうかがえるという。「氷期で最も寒かった2万4千年前からの2千年間、シベリアに遺跡がほとんどない。南下して北海道へ避難してきた可能性もある」

 人類のDNA解析データを調べた山梨大の安達登教授(人類遺伝学・法医遺伝学)も「シベリアから南下したと考えられる」と話す。北海道の縄文時代の人骨と共通する遺伝子型が、現代の東シベリアの先住民に多く見られる一方、朝鮮半島の現代人には非常に少なく、台湾や東南アジアには見られなかったからだ。

■知力生かし航海か

 沖縄ルートは難関だ。国立科学博物館(科博)の海部陽介・人類史研究グループ長によると、渡ってきたのは「3万年以上前」。那覇市山下町の遺跡で約3万6千年前、沖縄本島南部の八重瀬町港川や石垣市白保で2万年以上前の人骨が見つかっている。白保の人骨のDNAを解析した科博の篠田謙一・人類研究部長は「今の東南アジアに特徴的な遺伝子型を持っている。南方から北上した人たちが白保に到達したと考えられる」。

 しかし、琉球列島最西端の与那国島と台湾の距離は最短でも約110キロある。東京大の横山祐典教授(古気候学・地球化学)によると、当時の日本周辺の海面は今より50~60メートル低かったが、このあたりの海の距離は現在と大差がなかったという。大陸と陸続きだった台湾から舟で渡るとしても、間を北上する黒潮に流されるので、航行距離はもっと長くなる。

 本当に海を越えられたのか。

 海部さんは「航海術を持っていたとしか考えられない」と話す。3万年前の航海を再現しようと、海部さんら科博の研究者や海洋冒険家、草舟職人、与那国町職員のチームは7月、まず与那国島から西表島までの約70キロを草舟で渡る実験をする。篠田さんは「ホモ・サピエンスはアフリカを出て世界へ拡散したとき、現在の人間と同じ知力を持っていた。わたしたちが思いつくことは当時の人たちも考えていただろう」と話す。

■旧人・原人 いた?

 約3万8千年前に日本へ渡ってきた人類がホモ・サピエンスだといえる根拠は、遺跡にも残されている。

 日本旧石器学会会長の佐藤宏之・東京大教授(考古学)によれば、3万年以上前にできたとみられる落とし穴が国内で400基ほど見つかっている。静岡県三島市では100メートルにわたり60基が連なる遺跡が発見された。「これほど大規模な落とし穴群をつくれるのは、知能の高い今の人類しか考えられない」と話す。

 季節ごとに移住している様子などもあり、複雑な行動をしていたことがうかがえるという。

 ただ、東アジアには北京原人やジャワ原人など、今は絶滅した古い人類がいた。欧州などでは、旧人のネアンデルタール人がホモ・サピエンスと共存していた時期があると言われている。日本にも、ホモ・サピエンスが渡る前に原人や旧人がいた可能性はないのか。この点は研究者の間でも見解がわかれているという。

 かつて日本では人類の遺跡が約70万年前までさかのぼれると言われていた。だが、2000年、これらの遺跡はアマチュア研究家が石器を埋めて掘り出した捏造(ねつぞう)だったと判明。日本における原人や旧人の研究は白紙に戻った。

 ただ、近年の研究でも、10万年より古い可能性のある遺跡が存在するとの見方はある。今後、新たな発見などがあれば、研究が進展するかもしれない。(神田明美)

■人類の起源は?

 最初の人類である初期猿人がチンパンジーとの共通祖先から分かれたのは約700万年前。その後、原人や旧人など様々な人類が誕生した。

 かつては、世界各地でそれぞれ原人→旧人→現生人類へと進化したという「多地域進化説」が唱えられていたが、今ではホモ・サピエンス以外はすべて絶滅したとする「アフリカ単一起源説」が信じられている。世界中の現代人のDNAを比べると、共通祖先が20万年前ごろのアフリカへたどれるという遺伝学的証拠のほか、化石の骨の形や考古学的な証拠もある。

神田明美

2016年7月3日14時41分
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朝日新聞

人類進化

この6万年でヒトの進化は急激に加速していた!

どこへ行く?ホビットもマンモスも滅ぼした私たち

2016.4.21(木) 矢原 徹一著者のプロフィールはコチラをCLICK



インドネシアで発見されたホモ・フロレシエンシス、通称「ホビット」(左)と現代人の頭蓋骨。インドネシア・ジャワ島中部にあるガジャ・マダ大学で(2004年11月5日撮影、資料写真)。〔AFPBB News〕
インドネシアで発見されたホモ・フロレシエンシス、通称「ホビット」(左)と現代人の頭蓋骨。インドネシア・ジャワ島中部にあるガジャ・マダ大学で(2004年11月5日撮影、資料写真)。〔AFPBB News

 6万年前にアフリカを出て世界各地への移住を開始したヒトは、1~2万年の間にアメリカ大陸を除く世界に広がった。そして氷河が溶け始めてアラスカ以南への移住経路が開けた約1万5000年前には、アメリカ大陸各地への移住を始め、約1万年前には南米の先端まで到達した。



 その後、今日に至るまで、ヒトはその数を増やし続けている。そしてこの人口増加は、ヒトの新たな進化の駆動力となった。今も私たちは、進化し続けている。

驚くべき発見が相次ぎ報告される

 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? この問いは、私たちヒトが言語を使った思考能力を身につけて以来、抱き続けてきた疑問に違いない。

 私たちヒトは世界のさまざまな事物に興味を持ち、疑問を抱き、その疑問に答えるために世界を調べる努力を続けてきた種である。その疑問の矛先は、私たち自身にも向けられてきた。そして私たちは、この大きな問いへの答えを、ついに手にしようとしているのかもしれない。

 ヒトは約6万年前にアフリカを出てネアンデルタール人を滅ぼし、世界各地に広がった。この時点で、ヒト(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の間には、技術力に大きな差が生じていた。

 ヒトは貝殻などを加工し、釣り針などを製作する技術を発達させたが、ネアンデルタール人はこのような技術を持たなかった。ヨーロッパに進出したヒト(クロマニオン人)の遺跡からは、これらの加工品が見つかる。埋葬跡からも副葬品が見つかるので、死者を埋葬したことがわかる。

 ネアンデルタール人については、死者を埋葬したのではないかと主張する論文が古くから発表されてきたが、そのたびに反論が出された。最近では2013年にPNAS(米国アカデミー紀要)に埋葬説の論文が出たが、2015年に丁寧な反証論文が出され、いまだに埋葬の決定的な証拠は得られていない。

 約6万年前にヒトは何らかのイノベーションを達成したのだが、そのイノベーションとは「言語による高度なコミュニケーション」だった可能性が高まっている(前回の記事ではこの証拠を紹介した)。そして、前回の記事掲載後にも驚くべき発見が相次いで発表されている。

(※)前回の記事「6万年前に人類が手に入れた脅異の能力とは?」(JBpress)

ネアンデルタール人のY染色体は排除された?

 2016年4月7日には、ネアンデルタール人のY染色体(男性だけが持つ染色体)の遺伝子解析の結果が報告された。

 その結果、ネアンデルタール人のY染色体には、免疫系の3つの遺伝子にヒトとは異なる変異があることが分かった。そのため、ネアンデルタール人の男の胎児は母親の免疫系によって異物として排除されてしまうことが予想された。



 実際に、ヒトとネアンデルタール人の交雑の結果、ヒトの核ゲノムにはネアンデルタール人の核ゲノムの1~3%が伝わっているにもかかわらず、ネアンデルタール人のY染色体の遺伝子はいっさいヒトに伝わっていなかった。

 これらの結果から、ヒトの女性とネアンデルタール人の男性の受精による男性の胎児は、うまく育たなかったと考えられる。つまり、ヒトがネアンデルタール人の遺伝子を受け取ることができたのは、女性の胎児を通じてのみだったようだ。

(※)Science誌の紹介記事は<こちら

ヒトはホビットも滅ぼした?

 もう1つの発見は、「フロレス人(ホモ・フロレシエンシス)」と呼ばれるホモ属・第4の種についてのものだ。ヒトがアフリカを出て世界各地に広がった時代に、ネアンデルタール人、デニソワ人以外に、ホモ属には少なくともあと1種がいたのである。

 2001年にインドネシアのフロレス島で発見されたフロレス人の化石は、人類進化の研究分野で大きな話題となった。それはとても小型の人類であり、当初は奇形ではないかという説も出たが、その後の調査で小型の人類がいたことが確かになり、その体型から「ホビット」という愛称がつけられた。

 このフロレス人は、1万3000年頃まで生存していたと報告されたため、ヒト(ホモ・サピエンス)が約5万年前にインドネシアに到達したあとも、長く生きのびたと解釈され、ヒトとどうやって共存できたのか謎だった。

 しかし、最新の技術で年代測定が行われた結果、フロレス人が生存したのは約5万年前までであることが確認された。この年代は、ヒトの渡来時期と符合する。つまり、フロレス人は、ヒトの移住とともに滅んだ可能性が高まった。

 後述のとおり、ヒトは効率の良い狩猟技術によって、多くの大型哺乳類を滅ぼした。このようなヒトによる狩猟は、競合種であるネアンデルタール人やフロレス人の食糧を減らし、その存続を困難にしたものと思われる。

(※)2016年3月31日にリリースされたNature誌の論文は<こちら

マンモスを滅ぼした人類が手にした新技術

 ヒトの渡来とともに滅んだのは、ネアンデルタール人やフロレス人だけではない。マンモスをはじめとする多くの大型哺乳類が、ヒトの渡来後に地球上から姿を消した。

 北米では、マンモスをはじめとする33種の大型哺乳類が滅んだ。南米では、巨大アルマジロをはじめとする66種の大型哺乳類が滅んだ。アメリカ大陸では、ヒトの移住時期と気候変動が重なっているので、両方の効果で絶滅が起きたと考えられている。

 一方、オーストラリアでは、約4万5000年前のヒトの渡来後に、サイ並みの大きさがあるディプロトドンなど大型の有袋類(カンガルーの仲間)が21種滅んだ。約4万5000年前のオーストラリアは気候も安定した時期だったので、ヒトの渡来以外に絶滅を促す要因は考えにくい。



 大型哺乳類を滅ぼしたヒトは、より小型の動物や植物を利用して暮らす技術を発展させた。特に、ドングリなどの堅果や豆類を貯蔵する技術は、冬の食糧確保につながり、さらなる人口増加をもたらした。

 日本でも、縄文時代の人口は、ドングリの豊作年に増加したことがわかっている。ドングリなどの堅果や豆類の貯蔵技術とともに、これらを貯蔵したり調理したりするための土器製作の技術も発展した。しかし、果実を食糧として利用する生活は、ドングリの豊凶といった資源の年変動に左右された。

 また、イネやコムギのような穀物の原種からの種子採集は、野生の資源を減少させたはずだ。このような問題を解決する技術として、種子を播いて植物を育てる技術、すなわち農業が発展した。

 上海市に近い海辺の地、跨湖橋での遺跡の調査から、稲作による農業の始まりを詳細に裏付けるすばらしい証拠が得られている。

 この場所は8700年前に陸地化し、7500年前に再び海に沈んだ。しかし、再び海に沈むその前、7800年前にはイネの花粉が激増し、出土する種子(籾)の形が、脱粒性(熟すと穂から落ちる野生の性質)から非脱粒性(熟した籾が果実についたまま残る性質)に変化している。

 これは、ヒトが非脱粒性の品種を選抜し、栽培を始めた動かぬ証拠である。そしてこの変化と平行して、カシ類(ドングリの木)の花粉が減り(森が減った証拠)、微粒炭が増えた(木を燃やした証拠)。

 さらにその後、土壌中に残るブタの寄生虫が増えていることから、ブタを飼育したことがわかる。また、高潮の害から水田を守るために、灌漑技術を発展させた証拠が得られている。

 このような稲作と灌漑の技術を持った人たちが日本に渡来し、弥生時代が始まったことはよく知られているが、同様な移住は中国から東南アジアへも生じた。

 オオムギ・コムギの栽培と、ヤギ・ヒツジの飼育による農業を発展させたメソポタミアの人たちは、一方ではヨーロッパに、他方では南アジアやアフリカに移住した。

 このような農業技術を獲得した社会では、高い農業生産力によって人口が増え、中央集権的な国家が成立し、職業的軍隊によって治安が改善されるとともに、さらなる技術革新が進み、その結果人口はさらに増加した。




 以後、今日に至るまで地球上の人口は増え続けている。

人口増加と農業がもたらしたヒトの急速な進化

 かつて、ヒトの性質はアフリカを出た6万年前には完成されており、それ以後はほとんど進化しなかったと考えられていた。しかしこの考えは、最近のヒトゲノム研究によって過去のものとなった。

ヒトゲノムを大規模に比較する研究から、ヒトは過去6万年の間に進化を加速させ続けてきたことが明らかになったのだ。

 下の図1は、年あたりに出現したより有利な遺伝子の数が、過去8万年間にどのように変化したかを示している。有利な遺伝子の出現数は、8万年前から6万年前ま での2万年間は、毎年1個程度の出現ペースだった。しかし、6万年前から増加が始まり、5000年前には30個を超えている。

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図1. 過去8万年間のヒトにおける有利な遺伝子の出現数。Hawksらの論文(Hawks J etal. PNAS 2007;104(52):20753-8)をもとに筆者作成。


 このグラフがどのようにして作成されたかを簡単に説明しておこう。ある遺伝子に自然選択が作用したかどうかを調べるには、自然選択が作用しなかった場合の予測と比較する。

 この予測を可能にしたのは、故・木村資生博士が提唱した分子進化の中立理論だ。この中立理論は、ある環境において有利でも不利でもないDNA分子上の変異(中立な遺伝子)が偶然によって集団全体に広がる確率を記述する数学的な理論だ。

 今日では、ゲノムのDNA配列の進化の多くは、この中立理論に従うことが分かっている。この性質を利用して、DNA配列の違いから、過去の進化年代を推定することも可能になった。

 この方法によって、ヒトがアフリカを出たのは5万2000±2万7500年前と推定されている。この記事で「約6万年前」という数字を使っているのは、この推定値と考古学的な証拠の両方を考慮したものだ。

 このような「分子時計」と呼ばれる性質を使って、現在のヒト集団中にみられる遺伝子の変異(たとえば血液型のABOの違い)がいつ頃(たとえば何万年前に)生じたかを推定することができる。

 また、中立理論を使うと、偶然による進化の予測から統計学的に有意に異なる状態を決定することができる。この統計学的方法によって、現在のヒト集団中にみられる遺伝子の変異の中から、偶然による進化では説明できないものを選び出すことができる。これらの遺伝子では、自然選択によって有利なタイプが次第に増えてきたと考えられる。

 この2つの方法を組み合わせることで、自然選択によって有利なタイプが次第に増えてきた遺伝子において、有利なタイプと不利なタイプ(対立遺伝子と呼ばれる一組のDNA配列)の祖先をさかのぼり、共通祖先に行きつく時間(年齢)を推定することができる。

 先の図1は上記の方法によってヨーロッパの人類集団から選び出された2803個の遺伝子について、対立遺伝子の年齢を推定し、推定年ごとにその数をプロットしたグラフがベースとなっている。図1は、そこから5000年前、10000年前などの値を抜粋したグラフである(Hawks博士らが2007年に発表した論文<こちら>にはもっと多くの点がある)。

 Hawks博士らは、アフリカの人類集団から選び出された3468個の遺伝子についても同様に解析を行い、同じ傾向を見出した。また、データは示されていないが、漢族中国人や日本人で調べても、同じ結果が得られたという。



 すなわち、人類集団は世界各地で並行して、約6万年前から今日まで適応進化を加速させてきたのである。

進化を加速させた2つの要因

 この進化の加速をもたらした要因は、2つある。1つは人口増加だ。人口が増えるほど、有利な変異がたまたま出現する可能性が増える。

 DNA配列上に起きる変異のうち、大部分は生物の生存や繁殖に悪影響をもたらす有害な変異であることがわかっている。有害でない変異のほとんどは、故・木村博士が提唱した中立な変異だ。

 つまり、残るごくわずかの変異が、生物の生存や繁殖に良い影響をもたらす有利な変異である。そのような変異が現れる確率はきわめて小さい。しかし、人口が増えれば、そのような変異が出現する期待値も高まるのだ。

 もう1つの要因は、農業の開始や社会の複雑化に象徴される環境の変化だ。農業の開始は食生活を変え、たとえばヨーロッパの人たちではラクトース(乳糖)分解酵素の適応進化が起きた。また、天然痘などの家畜由来の病気が増えたために、免疫系の遺伝子に適応進化が起きた。

 社会の複雑化に対する適応進化については、まだよくわかっていない。その理由は、知性や創造性、実行力、協調性、積極性、神経質などの人間の性質を決めている遺伝子は多数あり、一つひとつの効果は非常に小さいからである。

 これらすべての性質について、約50%の遺伝率(変異の中で遺伝的影響が占める割合)があることがわかっているが、その遺伝的影響を特定の遺伝子に分解して調べることは容易ではないのだ。

 しかし、研究は日進月歩であり、あと10年後には、私たちの社会的能力の進化についてもっと確かな理解が得られているだろう。

人類史の転換点に差し掛かっている

 さて、過去6万年間人口を増やし続け、地球環境を変え続け、一方で環境に適応して急速な進化を遂げてきた人類に、大きな転換点が訪れている。

 2050年には、アフリカと西アジアを除くほとんどの国で、人口が減り始める見込みだ。言うまでもなく、日本はその先陣を切っている。

 人口増加に歯止めをかけたのは、出生率の低下だ。どの国でも、経済が発展し、健康状態が改善されるにつれて、女性は子どもの数を減らし続けてきた。乳児死亡率の減少や、女性の社会進出などその理由はさまざまだが、現在は人口増加が著しいアジア諸国でも、母親1人あたりの子供の数は2人に近付いており、近い将来に2人を下回る。つまり、人口が減り始めるのだ。

 人口は進化の駆動力であるだけでなく、科学や芸術におけるイノベーションの駆動力であり、経済発展の駆動力でもあった。その人口が減り始める状況において、未来の社会をどうデザインすれば良いのか? 人類はかつてない問いに直面している。

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JB press



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