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発酵・醸造食品

「甘酒」はなぜ夏の季語なのか? 暑い季節に熱い甘酒の話(前篇)

2016.07.15(Fri) 漆原 次郎
1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

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甘酒。一夜酒などの異名も。

「『甘酒』は夏の季語」という話をよく耳にする。歳時記を見てみると、たしかに「暑い時に熱い甘酒を吹き吹き飲むのは、かえって暑さを忘れさせるので、夏に愛用される」(『平凡社俳句歳時記 夏』より)などとある。

 だが、歳時記や事典の類には「その昔は冬の飲みものだった」との記述もよく見かける。だとすれば、甘酒の旬は「冬から夏へ、そして冬へ」と移ったことになる。寒い冬に熱い甘酒で温まるのは感覚的に分かるが、いったい「甘酒と夏」の組みあわせは、どう誕生し、どう定着し、どう衰退していったのだろう。

 こうした疑問をもちつつ、今回は「甘酒」をテーマに、歴史と科学を追ってみたい。前篇では、「甘酒は夏の飲みもの」成立の経緯などを中心に、日本人と甘酒の関わりを追ってみたい。後篇では、夏に甘酒を飲むという人々の知恵を裏付けるような現代の科学研究成果を見ていきたい。

神に献じた甘酒、祭の伝統は今も

 粥と米こうじを等量で混ぜたものを、沸騰しないように一昼夜、温め続ける。これで甘酒のできあがり。甘酒が甘いのは、米こうじの仕業による。飯などのでんぷんを分解して糖に変えているのだ。

 かつて、甘酒は「醴」(こさけ)とも書かれた。古くは720(養老4)年成立の『日本書紀』に、醴を応神天皇に献じた旨が記されている。応神天皇は、弥生時代から古墳時代へと移る3世紀ごろに即位していた天皇だ。

 その後も、甘酒は神に献じる飲みものであり続けた。人々がいただくときも、日常においてでなく、「ハレの日」においてだった。甘酒というと催事に振る舞われる印象が強いが、各地ではいまも「甘酒祭」の伝統が続いている。

 埼玉県秩父市(旧・荒川村)の熊野神社では、ふんどし姿の氏子たちが大樽に入った甘酒をかけあう「甘酒こぼし」を行う(2016年は7月24日に公開予定)。伝説では、大和武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、大きな猪を矢で射った。だが尊が射ったのは本当は山賊で、村民たちは喜んで尊に濁酒を捧げた。尊は、伊宑諾命(いざなぎのみこと)と伊穽冊命(いざなみのみこと)という夫婦の神を祀り、ここに熊野神社が創設されたという。その後、735(天平8)年に疫病が流行すると、この故事にちなんで、人びとは「甘酒こぼし」を疫病を流すための祭事にしたという(『食の科学』2004年12月号より)。

 ほかにも、甘酒を供えて酒造りの安全繁栄などを祈願する梅宮大社(京都府京都市)、甘酒を飲みあって豊穣を感謝する八幡神社(愛知県一宮市)、酒造の神に感謝する淡嶋神社(和歌山県和歌山市)など、今も甘酒祭は多く催されている。

江戸時代、甘酒飲みは日常的なものに

 甘酒と夏の関係はどうか。これをうかがわせる記述は、早くも平安時代の書物に見られる。927(延長5)年完成の律令細則『延喜式』には、盛夏に蒸米と米こうじに酒を加えた飲みものを作るとの記述がある。ただし、この飲みものは酒が使われることから、「白酒」に近いものではないかと考えられる。

 酒を使わないでつくる甘酒の記述が見られるのは、江戸時代の1697(元禄10)年に医師の人見必大が著した本草書『本朝食鑑』あたりからだ。「酒」でなく「香ノ物」という項目で、浅漬、甘漬、百本漬などとともに記されている。

 そして、『本朝食鑑』から15年後の1712(正徳2)年に寺島良安が編纂した百科事典『和漢三才図会』にも「醴」の説明がある。夏の季節に関係する記述もある。

「祭酒に多く醴を用いる。毎六月朔日、天子へ醴酒を献づる」

 ここでの「六月朔日」は、旧暦の6月1日、今でいう7月4日ごろに該当する。各地の甘酒祭が冬に少なく夏から秋に多いことからも、神事関係では「甘酒は夏の飲みもの」という概念があったようだ。


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『和漢三才図会』における「醴」の説明(所蔵:国立国会図書館)。

 江戸時代には、都会を中心にある程度の食の多様化が進んだ。とはいえ、砂糖などの甘味のある食材は簡単には手が届かない。となれば、飲むと砂糖のような味のする甘酒を、神に奉じるだけでなく、自分たちも積極的に飲もうとする動きが現れても不思議ではない。実際、京都や大坂でも江戸でも「甘酒売り」が街を歩きまわるようになった。

 では、江戸時代の庶民にとって甘酒の旬はどの季節だったのだろう。

 風俗史家の喜田川守貞が1853(嘉永6)年に著した『守貞謾稿』には、甘酒売りの詳しい説明がある。

「京坂は専ら夏夜のみこれを売る。(略)江戸は四時ともにこれを売り、一碗価八文とす」

 つまり、京都や大坂では夏の夜だけ、また江戸では四季を通じて、甘酒売りが甘酒を売っていてようだ。やはり、夏が中心なのである。


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『守貞謾稿』に描かれる甘酒売り。江戸では真鍮釜あるいは鉄釜を用い、京坂ではかならず鉄釜を用いるとも (所蔵:国立国会図書館)。

「夏の甘酒」と「土用丑の日の鰻」が同期

 ところが、『守貞謾稿』から時を少し戻すと、江戸では夏に甘酒を飲む習慣が存在しなかったことがうかがえるのだ。医師の小川顕道が1814(文化11)年に著した『塵塚談』にはこうある。

「あま酒は冬の物也と思ひけるに、近頃は四季ともに商ふ事になれり、我等三十歳頃迄は、寒冬に、夜のみ売廻りけり、今は暑中往来を売ありき」

 甘酒は冬のものと思っていたら、四季を通じて売られるようになったと変化を述べているのだ。小川の「三十歳頃」は、1767(明和4年)ごろ。当時は、まだ夏には甘酒が売られていなかったらしい。

 では、江戸で甘酒が夏にも売られるようになったのにはどうしてか。もう1つ注目したいのが、1822(文政5)年に刊行された『明和誌』だ。明和年間(1764-1772)以降の風俗が記録されている。そして、1768(明和5)年頃のこととして、こう書かれている。

「すべてあまざけ又納豆など、寒中ばかり商ふことなるに、近きころは、土用に入と納豆を賣きたる。あまざけは四季ともに商ふこととなる」

 この書物でも、寒い時期のみに売られていた甘酒が、四季を通じて売られるようになったと記されている。ここまでは『塵塚談』と大きく違わない。だが、特筆すべきことに、『明和誌』にはかつて夏の食べものではなかったとされる鰻についての言及もある。

「土用に入、丑の日にうなぎを食す、寒暑とも家毎になす。安永天明(1772-1789)の頃よりはじまる」

 鰻をめぐる有名な説として、旬でなかった夏場にも売れるよう「土用丑の日の鰻」を、かの平賀源内が流行らせたという話がある。「丑の日に鰻を食べて夏負け知らず」という考えが定着化した。一方の甘酒も、栄養満点で滋養強壮にうってつけの飲みものであることを人々は感じていただろう。鰻の「土用丑の日に」と同じタイミングで、江戸の甘酒も「夏にも」という転換が図られたのではないだろうか。

「冬の飲みもの」回帰は昭和初期ごろ?

 明治時代に入っても、甘酒売りや甘酒屋の商売繁盛は続いた。その様子は新聞記事からうかがえる。

 1890(明治23)年8月16日の読売新聞には、東京・下谷の佐竹原に甘酒屋が14~15軒あり、さらに開店の用意中の者が5~6軒あったとある。甘酒屋は「旦那、“若いの”がありますよ」と遊郭のような客引きをして、一夜づくりの「若い甘酒」を売っていたそうだ。

 1893(明治26)年6月21日の読売新聞は、「昨今の暑さ」から麦豆屋や納豆屋などから甘酒屋に転職をする者が多いと伝えているし、1910(明治43)年になっても8月13日の同紙が、東京市内におよそ200軒あり「六月の末から七八と暑氣が加はるにつれ売行きが盛に」と伝えている。「あまーい、あまーい」と甘酒を売る声が、夏のあいだ街のあちこちで聞こえたのだ。


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大正時代、東京で見られた甘酒売り。芝公園にて。1913(大正2)年6月26日付、東京朝日新聞より。

 ところが、その後の新聞記事を追うと、1920年代以降、甘酒が夏の話題として記事になることが減っていく。むしろ、寺の境内で正月に甘酒が振る舞われたなどの、冬の話題が多くなるのだ。大正から昭和初期に「夏から冬へ」の逆戻りがあったようだ。何があったのだろう。

 この頃の新聞でしばしば見られるのは、夏ごろに甘酒を飲んだ人が食あたりを起こすという事故の記事だ。1927年5月27日付の東京朝日新聞では、甘酒を食した家族が激しい下痢腹痛を起こし、1人が死亡し、4人が危篤と伝えている。

 大正期になると甘酒売りの数も減ったというから、庶民みずからも甘酒を作るようになったのだろう。ところが、夏場の甘酒づくりでは衛生管理が行き届かず、食あたりも頻繁にあったのかもしれない。こうしたこともあり、甘酒は昭和初期以降「冬の飲みもの」に回帰したことが察せられる。

 いま、夏場にスーパーマーケットなどで甘酒を探しても、なかなかお目にかからない。だが、18世紀半ばから20世紀序盤までの百数十年間、甘酒は「夏の飲みもの」だったという事実がある。暑い盛り、熱い甘酒をふぅふぅと飲む。それを一部の物好きな人だけでなく、日本人はみんながやっていたのだ。これほど長く定着していた食習慣を、単なる長い流行で片づけることはできない。「夏と甘酒」の組み合わせの妙を、人々は感じ、知っていたのだ。

 現代の科学では、夏に甘酒を飲むという人びとの知恵はどのように解釈することができるのだろうか。甘酒をめぐる科学研究の成果を見てみよう。

(後篇につづく)

詳細は↓をCLICK
JBpress



【甘酒】の変遷について興味深い記事にて シェアさせて頂きました。
当方では、昭和30年代より甘酒製造に着手しましたが、記事にもある通り当時は冬場の飲み物との認識が一般的で、夏場に売れることはありませんでした。
ところがここ数年の「麹ブーム」により、麹から造られた甘酒の効用や歴史が「夏場に飲む点滴」などのキャッチコピーで広く知られることとなって、夏場に生産に追われる状況を呈しております。

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1 Comments

senrryu says...""
amazake甘酒の季語が問題になっているようですが、十数年前にご質問を頂き文献などから「夏」のようですとお答えした記憶があります。
その後、甘酒自体は衰退の一途を辿り、もう消え去るのみではないか と危惧するような状況を醸しておりましたが、ここ数年のbreakeであっという間にスターダムにのし上がったような気配です。
今まで見向きもされなかった大手の味噌屋さんが+KOUJIとかいうキャッチフレーズで大宣伝をかけておられるようです。
2017.01.16 18:10 | URL | #- [edit]

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